編者のことば
 人は、「話す」「聞く」「書く」「読む」ことで意思の伝達、情報の交換を絶え間なく行いつつ、円滑な社会生活を営んでいる。
 さらに我々は思考し、想像したものを言語で表し、記録し、蓄積することによって人類共通の知識・財産を創生し、文化として伝承することが出来る。
 このような日常の“おこない”の手段となるものが言語である事を考えると、言語の果たす役割はきわめて大きいものがある。
 また一方では、言語がその様な手段として使われるが故に環境、風土、慣習、文化と言った地域の特性と大きく関わり合いながら形作られてきたことも否定できない。
 都会であれ地方であれ、そこに「特有の言語」があるのは当然のことであり、言語はそれぞれの地域にある有形・無形の文化財、郷土芸能等といった伝承すべきものと同様に、地域の文化であり、保護継承すべき大切な財産である。
 しかしながら大都市集中型の我が国の社会構造、さらには大量の情報が高速度に行き交う情報化社会の現代にあっては、効率性のみが尊重され全国津々浦々標準語なる言語が浸透し、今や地域特有の言語・方言は荒廃の一途を辿っているという由々しさ状態にある。
 地方出身者であった我が身を振り返っても、上京この方 “方言即ち田舎者”のレッテルを貼られることへの恐怖、我が身可愛さに抗じ難く、ついに身に付いた薫り高き郷土色の一切をひた隠し、愚かにも新たな文化圏に慣れ、標準語に親しまざるを得なかった。
 “若気の至り”と言うほかはないが、実際都会で営みを続ける地方出身者にとっての「お国ことば」はまさに現代の「パンドラの箱」である。
 既に現場を離れ、第二の人生を送りはじめた自分にとっては、大した影響もない「パンドラの箱」。
 ならば、今年還暦を迎えるにあたり、原点に立ちかえって「箱」の中味をつまびらかにしておくことは、“若気の至り”の償い、ひいては地方文化の継承にもささやかな一助となるのではと思いを致し、ここに浅学非才の身をも省みず「大分の話し言葉」の編纂を試みたものである。  平成十五年 春 大野秀臣
 
編者略歴 】1943年 大分県別府市生れ。1961大分県立別府鶴見丘高等学校卒。防衛大学校入学。1965年 防衛大学校卒業。海上自衛隊幹部候補生学校(江田島)に入校。 1966年 オセアニア方面遠洋練習航海を経て海上自衛隊、防衛庁の部隊、諸機関・総合幕僚会議事務局・海上幕僚監部・航空集団司令部・航空隊司令・防衛大学校教授・鹿屋基地司令等で勤務。1998年 退官。現在 三菱電機製作所勤務。