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 第7回・・・明石原人腰骨発見者直良信夫先生の偉業を偲んで
直良信夫先生・アイコン 訪問先  明石市立文化博物館 〔H19/4/22()〕 / 西八木海岸(発見地) 〔4/30(月・)〕
所在地  明石市立文化博物館;明石市上ノ丸   発見地;明石市大久保町八木
交 通  最寄り駅:明石市立文化博物館「JR明石」駅、発見地;山陽電車「中八木」駅
所縁の地  臼杵市 (参考;青年部主催「ふるさとを訪ンヌル青年の船」で生家訪問 H15/10 )
 病気療養中の為この地に滞在していた、考古学者直良信夫先生(早稲田大学教授;1902〜1985)による腰骨発見地(1931年4月18日)は、以下写真フェンスの右手海側で、浸食作用によりすでに海中に没している。
 '48年10月20日からの長谷部言人氏らによる発掘再調査はこの西方80m(写真手前が西)の地点。更には'85年3月、国立歴史民俗博物館の春成秀爾氏らによる発掘再調査が行われた。発見された明石原人の腰骨
 直良信夫先生が腰骨を発見した場所は、'48年の時点ですでに海中に没しており、'85年の調査は当時の発見地に近い陸地で行われた。
 この辺一帯の海岸線は屏風ヶ浦と呼ばれる切り立った崖が連続して続いている土地だったが、現在は防潮堤のおかげで侵食は止まっている。現在現地は写真の様に説明板のほかには、発掘に関係するような物はなにも見当らないが、他にアカシゾウ(アケボノゾウ)などの化石が発見された場所が隣接している。
(当時中学生の紀川晴彦氏が1965年に発見)明石原人祭り(海の部)・・・於て;八木遺跡公園!
 近年この一帯は、サイクリングロードや遺跡記念公園などの整備がすすんでおり、更には直良先生らの功績を記念して、毎年5月にこの近くの八木遺跡公園で、「海の部」明石原人まつりが開催されている。
 一方、先生の生家跡(臼杵市二王座切り通しから田町への坂途中の長屋跡)は、近年市により史跡として整備・管理されている。(J.Y)
  当日の訪問地 (はクリックで拡大)
明石原人腰骨発見地
明石原人腰骨発見地
現地には写真左の案内板がある
実際の発見地は写真右手の海中
(サイクリングロードの下方が西)

周辺マップ / 別ウィンドウ
  現地の看板の内容(原文) 別ウィンドウ
発掘された人骨など(現地の案内看板より抜粋)・・・クリックで拡大!「明石原人」腰骨発見地

 昭和6年(1931)4月18日、当時、明石に在住の直良信夫氏(元・早稲田大学教授)は、この付近の崩壊した崖の砂礫層中から、人類の腰骨を発見した。
 腰骨は戦争中に消失したが、昭和23年(1948)長谷部言人氏ハセベ・コトンド゙;元・東京大学教授)は、ニッポナントロプス=アカシエンシスの名を与え、一般には「明石原人」と呼ばれるようになった。
 昭和60年(1985)3月、国立歴史民俗博物館の春成秀爾助教授(ハルナリ・ヒデジ゙;現・教授)を中心とする調査団は、この西側を発掘調査して、6〜12万年前の木器や石器の出土を確認した。
 現在のところ近畿地方でもっとも古い人類の遺跡の一つである。
        平成12年9月 明石市教育委員会

  周辺散歩
アカシゾウ発掘地の指標
明石象発掘地
アカシゾウ(アケボノゾウ)・・・於;明石博物館の復元レプリカ
「アカシゾウ」明石市立文化博物館内の復元レプリカ
明石像化石と明石原人腰骨発見地マップ
平成19年5月に開催された明石原人祭りのポスター
明石原人まつりのポスター
  当日の参加メンバーと明石市立文化博物館・館内の直良先生のコーナー
当日の参加メンバー、博物館前にて
於;博物館前
明石市立文化博物館館内の直良先生のコーナー
日本標準時子午線表示柱前にて  明石天文台隣接の
日本標準時子午線
表示柱前にて



明石駅南に位置する
商店街の様子。
魚市場さながらの
活況(uontana)
明石駅南の「魚の棚(uontana)商店街」
 

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