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 第1回・・・古代関西大分人の足跡を偲んで!
姫嶋神社鳥居・アイコン 訪問先  姫島神社(姫嶋とも)・・・祭神阿迦留比売(耀姫)命、 住吉大神 〔H18/4/9()〕
所在地  大阪市西淀川区姫島4丁目14
交 通  最寄り駅・阪神電車「姫島駅」下車 / 阪神高速をくぐり、西へ徒歩約8分
所縁の地  東国東郡姫島村、比売語曽神社
 東国東郡姫島村にある姫こそ神社(比売語曽神社)とこの姫嶋神社は御祭神が同一であるそうです。
 古来より、我々日本民族は氏神を祭って来ました。その氏神を中心として氏がまとまり、「ムラ」を作り、国の基礎となってきました。そして、氏と氏との戦いで強力な方が国を支配してきました。
 我々の古里にある姫島は国東半島の沖合い約4kmに浮かぶ周囲4km余りの小島ですがその歴史は古く、古事記にも、いざなき、いざなみの国生みにより出来た島に挙げられております。
 何故古事記にもこの小島が採り上げられたのか?それはこの島が「黒曜石(こくようせき)」を産出したことがその一番の理由であろうと筆者は考えております。
 姫島村の海岸はその黒曜石が岸辺を埋め尽くし、あたかも神社の玉砂利を想起させてくれます。またこの島は、関門海峡を通じて朝鮮半島にも近くそれゆえに「耀(あかる)姫」伝説に繋がっているのではないでしょうか?姫嶋神社境内の歌碑
 また、大阪市平野区の杭全神社にはその「あかる姫神社」があります。朝鮮半島から渡来してきた人たちは、まず豊富な黒曜石で鏃(やじり)を作り、その優秀な技術で大和政権に請われ姫島へ移住し、またその一部が大阪の平野や生野へ移り、後の坂上田村麻呂を生んだのでしょう!
 公害訴訟(尼崎喘息)で全国に悪名を馳せたこの地区ですが、大分と大阪との両姫島の里親制度の様な形で、あのきれいな空気の「姫島村」と相互交流を図り、親睦を深めて欲しい、と願うのは筆者だけの妄想でしょうか?   (S.M)
 当日の訪問地 (ルーペマークの画像はクリックで拡大します!はクリックで拡大)
阪神電車「姫島駅」
最寄り駅、阪神電車「姫島駅」
 

周辺マップ / 別ウィンドウクリックで拡大画像にジャンプ!
 
当地の万葉集の歌碑。 現地、姫嶋神社前の様子
鳥居前
万葉集の歌碑
境内車庫内に保存されているダンジリ
神社車庫内で出番を待つダンジリ
 
神社境内、当日は丁度桜が満開でした!
神社境内、1次訪問当日は桜が満開
当日の参加メンバー・・・有瀬氏、茶園氏、上原氏、岩丸氏、阿部氏、松本氏、山本
第1次訪問参加メンバー
鳥居の表札
鳥居の神社名表記

姫嶋神社の由来・・・クリックで拡大画像にジャンプ!
神社の由来、境内のガイド板

 
H20/05/17訪問メンバー(後方左から佐藤氏/城氏/藤井氏/松本氏/前左から浜田さん/坂本さん/上原氏/松村氏)
第2次訪問参加メンバークリックで拡大画像にジャンプ!
姫嶋神社の由来 (写真上左、境内の案内ガイド板より、原文)
 
 祭神は阿迦留姫命と住吉大神が鎮座されている。
 神崎川と中津川との間のデルタの一つで難波八十島の比売島(ひめじま)の産土(うぶすな)神をまつったと考えられる。
 その「ひめ」がなまって「ひえ」(稗島)とよばれ「へじま」と発音していた。
 姫島は「攝津国風土記」逸文には、新羅の国に姫島があり、彼女は夫のもとを遁(のが)れてきて、しばらくは竹斯(ちくし)の国の伊波比の比売島に住んだ。やがて彼女は「この島はまだ遠くない、もしこの島にいれば、夫(アメのヒボコ)が尋ねてくるだろう」といって、また移り難波の比売島にとどまった、とある。
 当社の祭神「阿迦留姫」はアカルヒメ信仰をもつアカルヒメ族とでも呼ぶべき部族が朝鮮半島からおそらく伊都(いと;福岡県糸島郡)を経て国東の姫島へ移動して大阪湾一帯はこの部族の渡来によって開け始めていったとされている。姫嶋神社境内の歌碑

 境内には万葉集の当地に関する歌があり、明治三十三年に歌碑を建立したものである。

       妹(いも)が名は 千代に流れん 姫島の
                         小松がうれに こけむすまでに

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